ご先祖たちの軌跡

私のご先祖たちが生きた時代や、彼らがどのように生きてきたのかを備忘録としてまとめていきます。

母方の家系調査③(軍歴証明書の取得)

母方の祖父とその祖父の弟は、太平洋戦争に従軍しました。

母の話によると、母方の祖父は陸軍に招集され、ビルマ方面に参戦し、祖父の弟は、海軍として従軍し、戦死したようです。

 

母方の家系の戸籍は一通り集めることができたので、今度は軍歴証明書を集めることにいたしました。

 

軍歴証明書もいろいろなサイトで入手方法が書かれています。

一般的には、軍歴証明書を入手できるのは、本人か三親等以内の親族とされています。

そして、陸軍の場合は、戦争従軍者の本籍地のある都道府県に申請し、海軍の場合は、戦争従軍者の本籍地にかかわらず、全て厚生労働省に申請します。

 

今回は、母方の祖父の弟の軍歴証明書を申請することにしました。

母方の祖父の弟は、私から見て母方の「大叔父」となり、四親等に当たるため、

私は一般的な申請者にはなりえません。

ですが、結果から言うと、私は母方の「大叔父」の軍歴証明書を入手することができました。

その経緯を書いてみたいと思います。

 

冒頭にも書いたように、私の母方の「大叔父」は海軍として従軍しました。

そのため、軍歴証明書の申請先は、厚生労働省となっています。

そして、厚生労働省のホームページで申請方法を見ると、次のように書いてあります。

 

「ご親族の軍歴についてのご照会の場合の必要書類」

(1)ご遺族(依頼者)の身元確認書類

 (氏名及び住所が記載されている運転免許証又は健康保険証等のコピー)

 

(2)戸籍書類

 ご遺族関係が確認できる戸籍(※婚姻等による改姓が確認できるものを含む)

 死亡年月日(戦没年月日)が確認できる戸籍(除籍)

 

(3)開示請求する日前30日以内に作成されたご遺族(依頼者)の住民票

 

実は、海軍の場合、何親等以内という制限はなく、遺族関係が証明できれば、申請できるのです。

私の場合で言えば、申請に当たっては、私自身の戸籍謄本、私の父の戸籍謄本、母方祖父の父の戸籍謄本を同封しました。

私の父の戸籍謄本には、私の母の名前と母方の祖父の名前が記載しています。

そして、母方祖父の父の戸籍には、母方の祖父と母方の「大叔父」が記載されているので、私と母方の「大叔父」との関係が同封した戸籍から読み取れるわけです。

 

なお、厚生労働省に申請する場合、戸籍書類と住民票は原本が必要になります。

もっとも、それらは軍歴証明書を送ってくれるときに、一緒に返してくれるため、問題はありません。

ただ、原本を送ることになるので、申請の際は多少費用はかかりますが、レターパックを利用するのが適切かと思います。

 

申請書類等を送付した後は、特に厚生労働省から問い合わせの電話があるわけでもなく、ちゃんと母方の「大叔父」の軍歴証明書が送られてきました。

もちろん、戸籍等も一緒に返送されてきました。

ただし、かかった期間は、約3か月でした。

かなり待たされました。

従軍者にもよるかもしれませんが、厚生労働省は全国の海軍従軍者の資料を扱うことになるため、時間がかかることは覚悟しておいたほうがいいかと思います。

そして、普通郵便で送ってしまうと、本当に厚生労働省に書類がついているのかもわからないので、その観点からもレターパック等、到着履歴がわかる方法で送付した方が適切です。

 

次は、母方祖父の軍歴証明書を入手してみようと思っています。

入手の経緯は、またこのブログで書くつもりです。

 

母方の家系調査②

かつて母が、「私のおばあちゃんは、武家の娘だよ」と言っていました。

入手した戸籍を使って、それを証明してみようと思い立ちました。

 

母の言葉を、正確に直すと、母の父の母が武家の娘だというのです。

私から見れば、母方祖父の母が武家の娘ということです。

入手した戸籍から、母方祖父の母の父の名前や生家の住所はわかりました。

さて、そこからどうやって、母方祖父の母が武家の娘と証明していくか。

 

手っ取り早いのは、母方祖父の母の父が武士だったことを証明することです。

母方祖父の母の出生日から考えて、その父は間違いなく幕末に存命でした。

現在の上越市は、江戸時代、高田藩に属していました。

そして、高田藩には高田藩士の名簿、いわゆる「分限帳」が作成されており、それが現存しております。

その分限帳に、母方祖父の母の父の名前があれば、一件落着というわけです。

 

その分限帳に当たってもいいのですが、私は、もう少し裏を取ってみようと思い、別のアプローチを採用してみました。

それは、母方祖父の母の生家が武家町にあるかどうかを確認することです。

母方祖父の母の生家の住所は、「高田市主水町」というところです。

ここが、江戸時代に武家町であれば、武家の家である可能性は高いはずです。

そこで、「高田市主水町」が武家町であったかどうかを、上越市立図書館に問い合わせてみました。

いわゆる「レファレンスサービス」というサービスです。

 

この「レファレンスサービス」は、基本、どこの図書館でも行ってくれます。

大きい図書館であれば、問い合わせ専用フォームが準備されています。

このような専用フォームがなくとも、直接メールしても大丈夫です。

上越市立図書館には専用フォームがなかったので、HPに記載してあったアドレスに直接問い合わせてみました。

 

すると、次のような回答がありました。

  • 角川日本地名大辞典15巻 新潟県』(神戸市立中央図書館所蔵あり)には、「p1313 主水町は明治5年から昭和5年の町名、昭和5年から西城1~4丁目。松平光長の家臣、片山主水の屋敷があったのが町名の由来。のちに足軽長屋がつくられ、主水長屋と呼ばれた。明治21年の戸数は26、人口118人」などの記載があります。
  • 上越市史 普及版』平成3年刊行 上越市史編さん委員会/編 p407 新旧町名対照表では、西城2丁目の旧町名が「中殿町、新中殿町、主水町、中殿通町」とあるため、現在の西城2丁目の一部だったことがわかります。

  • 町名の由来となった片山主水の屋敷の場所は『高田城下之図』に記されています。この絵図は、新潟県立図書館ホームページの越後佐渡デジタルライブラリーで画像をご覧いただけます。また明治初年の住居地図『旧高田藩内絵図』の画像もあります。こちらも主水町の辺りに住居が何件あったか参考になると思います。

  • p99~101 住居の章に、昭和27年撮影の「主水長屋」の写真が掲載されています。場所は現在の大手町小学校裏と記載されていることから、その辺りが主水町だったと思われます。その他小倉家(250石)、旧伊奈主水家(1000石)の写真が掲載されており、武家の様子がわかります。

  • 「(本文より抜粋)「知行取・切府・足軽」の三階級に分かれ、切府と足軽は長屋、知行取は独立家屋だった。(略)形式としては書院造と農家の折衷型で、屋根も200石級で、わらぶきであった。」と記載されています。p102以降は町家、農家、花街の住居の説明です。

これらの回答から、おそらく高田市主水町は江戸時代、武家町だったと推察できます。

母が言っていた言葉に、信憑性が出てきました。

母方の家系調査

今回は、母方の家系調査について書いていきます。

 

家系調査の基本は、何といっても戸籍謄本の入手です。

早速、母方の戸籍謄本を申請してみました。

 

母は、現在の新潟県上越市の生まれです。

もっとも、新潟県上越市は合併を繰り返して現在に至っており、実際に母が生まれた場所は、新潟県中頸城郡三郷村です。

ここが、母の出生時の本籍、すなわち母方祖父の本籍地となりますが、現在は新潟県上越市となっているため、上越市役所に戸籍謄本を申請します。

 

申請の際は、母方祖父の戸籍謄本を申請する形にして、申請書の目的を「家系図作成のため」と記載し、空欄に「遡れるだけの戸籍謄本を申請します」と追記しました。

なお、申請にあたっては、私の戸籍と父の戸籍のコピーを添付しました。

私の戸籍謄本だけでは、母の父、すなわち母方祖父の名前が出てこないためです。

父の戸籍には、母方祖父の名前が記載されているので、私が母方祖父の戸籍謄本を申請できる証明となります。

 

申請後、数日たって、上越市役所から連絡がありました。

曰く、家系図作成のための戸籍謄本の申請が多くなされているため、戸籍謄本の送付が1か月程度かかるとのこと。

急ぐ必要もありませんので、わかりましたと担当者に回答し、改めて遡れるだけの戸籍謄本がほしい旨をお伝えしました。

 

その電話か3週間くらいたったあと、また上越市役所から電話がありました。

曰く、お渡しできる戸籍謄本が全部で11通あるのですが、同封してあった小為替では足りませんので、差額の小為替を送っていただいたあとに、発送するとのことでした。

実は、申請に際し、5千円分の小為替を同封していたのですが、足りなかったようです。

余談ですが、戸籍謄本には実は種類がありまして、家系図作成に必要な戸籍謄本は正確には「改製原戸籍」と言われる戸籍謄本です。

これは、1通750円かからります。

これが11通なので合計8,250円、従って差額の3,250円分の小為替が必要になったわけです。

 

母方に関しては、父方とは違い、多くの情報が戸籍から入手することができました。

その理由の一つが、母方の家系が、新潟県上越市内で完結していたためです。

そして、新潟県上越市市町村合併を繰り返していたため、広範囲の地域が管轄となっていたためです。

 

今回のように、ご先祖の出生地によっては、一気にほしい戸籍が手に入る場合があります。

父方祖父の足跡調査パート2

前回、父方祖父の足跡調査にあたり、軍歴証明書を入手しようとしたものの、従軍していなかったため、入手出来なかったことを書きました。

 

今度は、卒業生台帳に入手を検討しました。

調べたところによると、卒業生台帳は永年保存文書のようで、場合によっては、保護者の情報の記載もあるようです。

 

もっとも、父方祖父の通った小学校はわかりません。

そこで、考えたのは、父方祖父の本籍地から通えそうな小学校で、父方祖父の入学するときに既に存在していた学校に問い合わせてみることでした。

 

そして、本籍地から通え、なおかつ父方祖父の入学するときに存在する小学校として、名古屋市西区にある、名古屋市立榎小学校が候補に挙がりました。

ただ、残念ながら、同校のホームページを見ても、メールアドレスの記載はありませんでした。

もちろん、直接電話も出来ますが、一々説明するのも面倒なため、別の手段を講じました。

それは、名古屋市教育委員会にメールで問い合わせることです。

 

名古屋市のホームページに、名古屋市教育委員会のアドレスが記載されていたので、駄目で元々というわけで、父方祖父の卒業生台帳があるか問い合わせてみたのです。

 

すると、数日後、榎小学校の教頭先生から、父方祖父の名前が記載された卒業証書台帳が見つかったと返信があり、該当のページをPDFで送っていただきました。

送っていただいたPDFには、父方祖父の氏名と生年月日しか記載がなく、新たな情報にはなりませんでしたが、少なくとも、父方祖父が榎小学校を卒業したことは、証明できました。

 

そして、厚かましいお願いとは知りながらも、返信していただいた榎小学校の教頭先生に、他に父方祖父の情報が残っていないか、再度問い合わせてみました。

すると、ありがたいことに調べていただき、その結果についてご返信いただきました。

残念ながら、卒業証書台帳以外の情報はなかったようです。

 

このように、卒業生台帳というアイテムから、家系調査につながる情報を探してみましたが、今回の調査では、戸籍から入手できる情報以上のものは、入手できませんでした。

それでも、収穫だったのは、榎小学校の教頭先生が調査の力になってくれたことです。

丁寧に事情を説明してお願いすれば、こうして協力していただけることがわかったからです。

これからも、根気強く父方祖父の足跡調査を行っていくつもりです。

 

父方祖父の足跡調査

父方祖父の系統の戸籍が思うように入手できなかったため、今度は、父方祖父の足跡を辿ってみることにしました。

父方祖父は私が生まれたときに、すでに鬼籍に入ったため、当たり前ですが、何の思い出もありません。

当然、父に聞けば教えてくれたのでしょうが、もともと自分の周りにいない人には、思いが及ばず、何も聞くことはありませんでした。

そして、その父も鬼籍に入ったため、とうとう聞く相手がいなくなってしまったというわけです。

 

さて、どうやって父方祖父の足跡を辿ろうかと考え、思いついたのが軍歴証明書です。

私の場合、母方の祖父が太平洋戦争に従軍していたので、当然、父方祖父も従軍しているだろうと思ったわけです。

軍歴証明書は、遺族であれば取得申請が可能です。

そして、申請は従軍した人の本籍地のある都道府県に対して行います。

(但し、都道府県に申請するのは、従軍者が陸軍の場合で、海軍は本籍地にかかわらず、厚生労働省に対して申請します)

 

父方祖父の本籍地は名古屋市なので、愛知県に申請しました。

もっとも、最初は本当に父方祖父の軍歴証明書があるかどうかの照会を行いました。

 

照会はメールで行い、その回答が照会メールを送信後、3日ほど経ってからありました。

回答メールには、父方祖父の軍歴証明書はないということでした。

軍歴証明書がないということは、太平洋戦争に従軍していないということです。

 

その理由を探ってみると、父方祖父は戸主であったことが分かりました。

戦前は日本でも兵役が義務でしたが、兵役免除規定も別にありました。

兵役免除規定の一つに、戸主であることが、条件としてありました。

 

太平洋戦争当時、父方祖父は東京で結婚し、戸主となっていたため、従軍しなかったのです。

 

父方祖父の足跡を辿る旅も、中々難しそうな出だしとなりました。

先祖調査を場所から行ってみる

私の場合、父方祖父の系統について、戸籍から探れる情報は多くはありませんでした。

 

そこで、次に始めたのは、先祖が住んでいた場所の歴史を調べてみることでした。

先祖が住んでいた場所を調べることで、先祖がどのような生活をおくっていたかわかるかもしれないと考えたからです。

 

父方祖父の系統の本籍地は戸籍上「名古屋市西区押切町8丁目」となっています。

現在の「名古屋市西区名西1丁目」です。

名古屋市西区の歴史を調べるうえで、手っ取り早いのは名古屋市の図書館で資料を調べることですが、私の居住地は神戸のため、簡単に名古屋市の図書館まではいけません。

そこで、活用させてもらったのが、名古屋市の図書館が提供する「レファレンスサービス」です。

これは、名古屋市に関することで調べてほしいことをメールで依頼すると、図書館の司書の方が代わりに調査したうえで、メールで返信してくれるというものです。

 

私はそのレファレンスサービスを使って、幕末期の名古屋市西区押切町8丁目周辺の街並みについて教えてほしいと依頼してみました。

街並みが分かれば、百姓だったのか町人だったのか、あるいは武士だったのかの推測がある程度できるからです。

 

そして、調査の結果を返してくれたのですが、結果は、はっきりとしたことはわからないとのことでした。

たとえば、「愛知縣名古屋區市街地籍全圖」という明治18年頃に完成した地籍全図の復刻資料を調べていただいたのですが、該当地域がちょうど地図の切れ目で、該当住所の様子はわからなかったようです。

 

但し、参考になりそうな情報もありました。

 

名古屋市西区全体の歴史は、「清州越え」で形成された城下町「古い西区」と昭和30西春日井郡山田村合併により商工業・住宅化した「新しい西区」のふたつの沿革と土地がらの異なる町があるということ。

 

また、現在の名西1丁目の学区は「南押切学区」「栄生学区」「榎学区」に分かれ、それぞれの
学区は以下のような特徴があること。


南押切学区は、明治以前のこのあたりは押切村と呼ばれていたところで、細工人
町(現在の平野町)を中心とした職人のまちであった。


栄生学区は、明治初年までこのあたりは栄村(さこむら)と呼ばれていたところ
で、古書には見渡す限りの水田地帯。


榎学区は、学区全体を一言で特徴づけることは容易でないが、やはり商・工業を
中心とした街並みである。東京芝浦電気株式会社名古屋工場など大工場のほか、中小
の向上、商店が多い。

 

おそらく、先祖の本籍地の地番からすると、南押切学区か榎学区に該当すると思われ、歴史的には町人街と思われます。

思い返せば、昔亡くなった父に先祖はどんな職業だった聞いたところ、寺子屋をやっていたと答えていました。

これが本当であれば、先祖は町人街に住んで寺子屋を営んでいたというストーリーは自然です。

 

このように、過去の街並みから先祖の暮らしを推察することもできるというわけです。

父方祖父の戸籍再調査

前回、父方祖父の父の戸籍は、戦災で焼失し、入手できないことを書きました。

ですが、実は他の戸籍から、父方祖父の父に関する情報を入手することはできるのです。

それを、今回、お話ししたいと思います。

 

父方祖父の父の配偶者の項目を見ると、「愛知県丹羽郡幼村大字芝原」出身であることが読み取れました。

そして、当時の戸籍(明治31年式戸籍)には、配偶者の戸主に関する記載があります。

他方、父方祖父の父の子供たちが他家に嫁いだり、あるいは養子にいく場合、相手先の戸主の名前が分かるのです。

 

ということは、父方祖父の父の配偶者の出生時の戸籍が手に入れば、父方祖父の父の名前はわかるのです。

父方祖父の父の配偶者は、私からすれば曾祖母にあたり、直系となるため、戸籍の請求権はあります。

私の戸籍、父の戸籍、父方祖父の戸籍のコピーを添付して、父方祖父の父の配偶者が出生した場所に請求すれば、戸籍は入手できるわけです。

 

問題は、「愛知県丹羽郡幼村大字芝原」が今のどこなのかということです。

これが、難しい。

ただ、現在はインターネットで調べることができるので、根気強く探していけば、わかります。

調べた結果、「愛知県丹羽郡幼村」は、現在の愛知県一宮市です。

分からないのは「大字芝原」のところです。

もっとも、市がわかれば申請はできますので、戸籍のコピー一式と、申請書にはわかる範囲で記載しして、一宮市役所に申請してみました。

 

結果は、申請自体は受理されましたが、父方祖父の父の配偶者に関する戸籍はなかったと役所から電話がありました。

父方祖父の父の配偶者の戸籍は、大正9年に除籍となっており、昔の戸籍法では、除籍後80年たった戸籍は廃棄できることとなっていました。

その戸籍は除籍後80年を経過しているため、廃棄済だというのです。

 

残念ですが、無いものはいくらお願いしても無いので、廃棄証明書をもらって、調査を終了することとしました。

 

私の場合、父方祖父の系統に関する戸籍は、思いのほか、少ない結果となりました。

戸籍は、家系図調査の基本となる資料のため、あるに越したことはないのですが、私のように、昔の戸籍が焼失したり、廃棄されたりする事実があることは念頭に置いておいた方がいいかと思います。